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    #2 安心して生活出来る場所に街づくりを(大槌町栄町→釜石市栗林町)

    • 2012.08.19 Sunday
    • 13:51
     「建物の一番上に上がってしばらくして見ると、ズボンの裾が濡れていた。無我夢中で気がつかなかった」

    震災当時大槌町栄町に住み、釜石消防署に勤務していた駒林博之さん(45歳)は震災以後ずっと「避難しなくてもいい場所に街づくりを」と思い続けている。

    駒林さんは、釜石市栗林町出身で数年前に大槌町に引っ越してきた。当初は大槌消防署勤務だった。
    出身地の栗林町は海から約7キロほど離れた山里で「津波被害」とはほぼ縁がない地域であるが、仕事柄防災の意識は高く、大槌町に引っ越した時は「ここは地震がきたらすぐ避難しなければならない場所だ」「津波が来たら大変だぞ、栗林に戻った方がいいんじゃないか?と思うぞ」と常日頃から家族に話していた。家族は「そんな大きな津波が来るかな?」と訝しげだった。
    震災の前年チリ地震津波の警報が出された時は、のんびりしている妻に「何してんだ、早く避難しろ」と促した。

    あの日、駒林さんは仕事が非番で小学校1年生の息子の帰りを妻の実家(栄町)で待っていた。
    時間は14時。いつもならそろそろ下校してくる息子がまだ来ない。
    「帰る時間を間違えたかな?」といったんアパートに戻り、腰を下ろすと背筋がゾクゾクするような悪寒を感じ「風邪ひいたべか?ちょっと休むか」と横になった。
    それからどのくらいたったのか。強い揺れを感じ、「ただ事でない」とすぐ家を出て車を出す。
    不思議なことに、あのくらいの強い揺れでも家財はほとんど部屋に散らかることがなかった。
    ちょうど幼稚園のバスを待っていた同じアパートのお母さんたちが道路に見えて何か話しかけられたような気がするが、一刻も争えないと思い息子が通う小学校まで車を飛ばした。
    途中、妻の実家に立寄り、両親を乗せて行こうかとも考えたが、「いや、避難するはずだ」と思いそのまま向かった。なぜここで「避難するはずだ」と思ったかは後々の彼の行動で明らかになる。
    小学校に着くと生徒たちは校庭に集まっていた。親が迎えに来た生徒は引き渡している。
    息子を車に乗せると、ある言葉が頭をよぎった。
    それは震災の2日前、3月9日のことだった。あの日もお昼近くに大きな地震があった。
    妻の実家で下校した息子と二人でいると、義父が「大きい地震がきたら、高いとこ、高いとこ、って目指して逃げるんだぞ、じいちゃんもそうすっからな」と孫に言い聞かせていた。
    小学校の脇を上がれば城山に着く。しかし、駒林さんは先の言葉を思い出しさらに高い場所まで息子を連れて行った。ちょうどそこに知人がいたので息子を託し車を置き新町にある大槌消防署へ走って向かった。

    消防署では地震の対応に追われていた。
    救急車、消防自動車を今後出動出来るようとにかく安全な場所へ、ということで安渡方面のバイパスへ上がるよう指示した。
    そのうち堤防へ様子を見に行っていた隊員が「津波がきた!津波が来た!」と叫んで入って来た。皆、一斉に無我夢中で建物の屋上を目指した。
    DVC00445.jpg


    大槌消防署は3階建てである。しかし予想をはるかに上回る波の大きさに「屋上でも駄目だ!」とさらに高い正面の狭い空間へ上る。目の前を恐ろしい早さで波が引いて行く。
    瓦礫につかまり流されていく三人の人間を見た。「おーいおーい!!」と叫んでいる。しかしどうすることも出来ない。本来救助活動すべき自分たちが、流されていく人にロープ一本たらしてやれないもどかしさ…
    三人はそのまま決壊した防潮堤の隙間から沖へ流され、新たに襲いかかる波に飲まれていった。
    また、一人の町職員を乗せて流れて来た屋根が向かいのポンプ場に引っかかっているのが見えた。「あがれ!そこをあがれ!」ポンプ場にはベランダのようなものがあり、柵につかまれば助かりそうだったことから、そこにいた全員が「あがれ!頑張れ!」と叫んだ。彼は柵をあがり助かった。
    駒林さんが避難した場所も安全ではなかった。
    「あと50センチ位波が高ければ皆流されていました」
    避難出来た消防職員は13名。津波が落ち着きふと見渡すと一緒にいたはずの隊員二名が見当たらない。
    「どごさいったのや?上がってくる時までいっしょだったべや?」
    20代と30代前半という若い隊員二人のご遺体が見つかったのは津波から数日後だった。
    お二人ともその日は非番だったのだが出動して「殉職」したのだ。
    駒林さんは言う。
    「俺はたまたま助かったからだけれども、何秒かの差で流されていたかもしれない。消防署員は災害後の救助も任務だ。自分の命が助かって人を助けることが出来る。わざわざ危険個所にある消防署へ出動するのが正しいことかどうかわからなくなった、というより死んでは駄目だ…二人の死を殉職…(言葉に詰まる)と言いたくない。各々の住む場所で避難誘導し、自分も危険だと感じたらすぐ逃げる、そういうふうに体制を変えて行かなければ…。」
    「殉職と言いたくない」という駒林さんの顔には仲間を亡くした悔しさがありありと浮かんでいた。震災後消防署員や消防団員の「殉職」を美談に仕立てている報道があると「そんなもんじゃねえ」と怒りがこみ上げた。
    また、同級生の隊員一人は鵜住居町の自宅の二階で家族4人で亡くなっているのが後日わかった。告別式で弔辞をよむことになり、その文面にたいそう悩んだ。
    「なんで子ども迎えに行った後、高い所に逃げなかったんだべ…でも自分ももしかすると2階だから大丈夫、と思ったかもしれないな」と複雑な心境だったという。

    震災後は自分の実家のある栗林町へ引っ越した。
    子どもも転校させた。

    「介護が必要なお年寄りを避難させようとして亡くなった人や、自分だけ逃げられない、と言って一緒に流された人もいる。自分はまだ元気だから大丈夫、という人がいるがいつ何時介護が必要な体になるかわからない。そのとき同じ思いを子どもにさせたいと思うか?嫌だ。そして子どもを危険箇所を通らせて通学などさせたくない。大槌も釜石も避難しなくていい場所に土地が残っているではないか。ここ、栗林だってそうだし、大槌は小鎚や金沢だってあるだろう。整地してすぐ住むことも出来るし…街づくりって浸水区域をどうするか、ということももちろんあるかとは思うが、安心して住むことが出来る場所へ生活基盤を作ることも必要ではないのかな」
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